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ESSAY2| 「最後のプレイリスト」

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「最後のプレイリスト」

前回のエッセイで書いたとおり、今春、父が亡くなった。

「好きなことを貫く」
「大事なのは集中力」
「英語、海外、IT」
「とにかく健康第一」

幼い頃から何百回も言われてきた言葉たちは、
いまもなお、ぼくの生き方に多大な影響を与えている。

3年間、がんで闘病していた父。

いま振り返れば少しずつ衰弱はしていたものの、
昨年の今頃は、まだ孫の誕生日を普通に祝えるほどの元気はあった。

急変したのは昨年末。

母から、父の調子が悪いのですぐに実家に来てほしいと電話があった。
駆けつけると血色が異常に悪い。
立ち上がることもままならない。

ただごとでないと悟ったぼくは、自家用車ですぐにかかりつけの都内の病院へ。
即日緊急入院・緊急手術することとなった。

奇跡的に一命をとりとめたが、1日でも病院に来るのが遅かったら……
と執刀した先生に言われたことを思い出す。

それから3カ月。

コロナ禍により面会がほとんどできないなか、
LINEやテレビ電話で父とのやりとりは続いた。

あれほど元気だった父が、日を追う毎に痩せていく。
あれほど食欲旺盛だった父が、少しずつ食べられなくなっていく。

ぼくたち家族と父はこのとき、
主治医から「残り時間」が少ないことを聞いた。

それでもポジティブな父は、
時折「未来」を口にした。

間近に控えた金婚式を自宅で迎えたいとのことだった。

医師は当初、今の状態では退院は厳しく、
残り時間がより短くなるかもしれないと話した。

しかし、父の帰宅への思いは強く、
3月下旬、完全自宅看護・介護というかたちで実家に帰ることとなった。

父からはっきり話を聴いたわけではないけれど
たとえ残りの時間がさらに短くなってしまっても、
病院ではなく、住み慣れた街、住み慣れた家、
そして何より残りの時間を母と過ごしたかったんだろうと思う。

ようやく念願の帰宅を果たした父。

だが、そこからが早かった。

簡単な会話ができたのは最初の数日のみ。
しかも、痛み止めの副作用で1日のほとんどは眠っていた。

それでも何とか迎えた数日後の金婚式──

母、兄家族、ぼくたち家族。
父の希望通り一堂に会することができたものの、
いざお祝いのメッセージやプレゼントを渡すタイミングになると、父はまた眠りについてしまった。

そのうち目を覚ますこともあるだろうと
ぼくは思った。

でも、今回の眠りは今までとは違った。
このときを境に、父はほぼ昏睡状態になってしまったのだった。

迎えた退院十日目。

訪問医療のドクターから、「おそらくあと12時間ほどかもしれません」と告げられた。
ある程度心の準備はしていたつもりだったが、
さすがに心は揺れた。

子どもたちにどう伝えるか迷ったが、母や妻と相談のうえ、
最後は「ありのまま話し、みんなでお別れをしよう」という結論になった。

子どもたちも薄々は感づいていたものの、いざ「今日」といわれると、当然のように動揺は大きく、むせび泣いた。

けれど、ぼくたちはここから不思議な時間を過ごすことになる──

 

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