宇野亞喜良さん(イラストレーター)第2回「描きたいと希望した唯一のもの」
宇野亞喜良さんといえば、夢見るような幻想的な少女の絵で知られている。だが新聞の連載小説では、劇画タッチの男らしい挿絵で、時代劇の世界を描写した。幅広いジャンルの仕事を手がけ、あらゆるタッチを描き分ける宇野さんだが、時代小説の挿絵には、子どものころからの特別な思い入れがあるようだ。彼が新聞小説にひかれる理由を聞いた(2018年8月対談)。
新聞連載は生き物のようにおもしろい
早川:絵本でも、今回の『2ひきのねこ』のように、宇野さん一人で完結するものもあれば、谷川俊太郎さんとのコラボレーションの作品もあります。
新聞の挿絵や、麻布十番のポスターなど媒体の違いもあります。
選ぶとしたらどれが一番好きですか?
宇野:最近はあまりないんですけど、新聞小説の挿絵は好きです。
新聞小説は、最後のページにくるので、一面と一緒に刷られるわけですよね。
たいてい、一面には最新のニュースを掲載しますから、最後の最後に印刷所に送られることになります。
印刷所へ送るときのタイミングは裏面も同じなので、新聞小説もギリギリまで粘ることができます。
実際、作家もよく小説の内容を変えたりしています。
ぼくに渡される原稿が決定稿とは限らないので、新聞に掲載されたときには、事件がさらに発展していたり、途中で終わったりしています。
そういう発見も楽しいです。
早川:ぼくが新聞記者をしていたとき、整理部の記者が何度も記事を組み替えたりしていました。
青モニという最終ゲラのようなものが出てくるまで、何がどこに掲載されるのかわからないんです。
宇野:生き物的なところも、おもしろいですよね。
新聞小説のメリットは、ずっと継続して描けることです。
小説が続いている間、ぼくが考えたエピソードを加えることができます。
例えば、昭和22~23年頃、舟橋聖一の書いた『花の生涯』という新聞小説が連載されていました。
井伊直弼と、学者と、女性と3人の恋愛模様を書いた小説です。
ある日、男が都都逸をうたい、村山たかという女性が三味線を弾いている挿絵がありました。
そこに「官女の袴に緋毛氈、月に七日のお客様」っていう文章が添えられています。
子どもながら、「赤いものづくしだから、女性の生理期間なのかな」ってなんとなくわかりました。
小説を読むと、都都逸も、「月に七日のお客さま」も出てきません。
話と関係のない絵が描けることに、すごく感激しました。
しかも、たかっていう女が三味線を弾けることや、男たちが鼻の下を長くして寄ってくる容姿だということ、近所のおじさんたちに都都逸を教えている職業ということもわかります。
その表現が見事で、「挿絵をやりたい」という気持ちが湧いてきたんです。
春陽会っていう展覧会も観に行ったのですが、「油絵よりも挿絵のほうがかっこいいな」と思いました。
早川:ちょうど今、お仕事をご一緒している小説家の石田衣良さんが毎日新聞で連載をしていて、「毎回小説にどんな挿絵がついてくるか、すごく楽しみにしている」とおっしゃっていました。
刷り上がるまで、作者もどんな絵が入るかわからないそうです。
宇野さんは、新聞連載をされていたときに、作家の方とお会いしましたか?
宇野:新聞社にもよりますが、最初に顔合わせがあります。
連載終了後の打ち上げもあるので、たぶん2回は会いますね。
早川:会うときに「こういうことが知りたい」という目的は持っていますか?
宇野:なんとなく作家の精神構造は探りたい感じもあるし、「あまり近寄らないほうがいい」って思う部分もあります。
早川:それは距離感や共通点でしょうか。
宇野:「絵がわかっている人なのかどうなのか」という確認の意味もあります。
毎日やりとりをするわけじゃないから、相手に嫌がられても平気です。
早川:ちょうど去年、寺山修司さん関連の記事で「エスプリが共通していれば作品が成立することが多かった」っていう一文を見ました。
寺山修司さんをはじめとして、大なり小なりいろんなコラボレーションをしてきたと思います。
谷川さんと共著した絵本『おおきなひとみ』もそうですよね。
これを読んでいる方は、ぼくも含めて、創造的な仕事をしている方も多いはずです。
うまくいくときと、いかないときの境目ってどこにあると思いますか?