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髙田賢三さん(「KENZO」創始者)第2回「人生のターニングポイント」

髙田賢三さんは、中学生のころから、ファッションやモードの世界にひかれ、『ひまわり』や『それいゆ』といった雑誌に掲載されていた中原淳一さんの絵をまねて描いていたという。高校卒業後の進路には、芸術大学や美術大学を志望していたが、経済的な理由で断念せざるをえなかった。他に志望していた洋裁学校も当時は男子の受け入れは一般的ではなかった。仕方なく昼はサラリーマン、夜は大学生としての生活を送っていた彼は、たまたま乗り合わせた電車の中で運命的な掲示を目にする。彼の人生を大きく変えたターニングポイントとは。そこでとった選択とはどんなものだったのか。

単身で東京に乗り込む

早川:人生を振り返ってみて、ターニングポイントで決断するときは、基本的にお一人で決めますか。それとも誰かの意見を聞きますか?

髙田:僕は自分一人で決めました。
大学と仕事に通い始めて1カ月くらい経ったとき、姫路から神戸に行く電車の中で、車内広告を見かけたんです。
「東京の文化服装学院が初めて男子学生を募集した」という内容で、それを見てびっくりしたんですよ。
大学を決める時に、神戸のデザイナー学校や、姉の行った洋裁学校に入学できないか聞いてみたのですが、「男子はダメ」と言われて諦めていたんです。
なのに、そういう広告を見たものだからショックで、「もう大学を辞めて、東京に行きたい」と思ってしまいました(笑)。
親に言っても反対されるじゃないですか。
大学の夏休み2カ月、お豆腐屋さんでアルバイトをしてお金をためましたよ。

早川:お豆腐屋さん? お給料がいいんですか?

髙田:たまたま親戚がお豆腐屋さんだったので、配達させてもらったんです。

早川:賢三さんがお豆腐を配達していたんですか。
なんだか想像がつかないですね。

髙田:自転車のうしろに豆腐の大きな箱を乗せて、2カ月間毎日配達しましたよ。
それで少しお金がたまったので「まず東京へ行こう」と決めて。
僕の高校時代の友達が早稲田の予備校に通っていたんですよ。
すごく仲の良い友達だったので、夏休みが終わってから、彼の下宿に転がり込んだんです(笑)。

早川:賢三さんは数々の冒険をしてきたと思うんですけど、今振り返って、人生最大の冒険は何でしたか?


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