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鎌田恭幸さん(鎌倉投信株式会社代表取締役社長)第2回「『何を成すか』よりも大事なこと」

今回のUpdater、鎌田恭幸さんは銀行や証券会社を介さない直接販売を通じて、鎌倉投信と投資家と投資先の三者が信頼で結ばれる関係性をつくっている。例えば、鎌倉投信は5~10年後の収益化を目指して林業再生に取り組む「いい会社」に投資している。林業は収益化が非常に難しい事業だが、投資家を集めて現場を視察したり、説明会を開いたりと、本当に「いい」と判断した企業を応援するための努力を惜しまない。長年金融業界で働いてきた鎌田さんが、まったく方向性の異なる鎌倉投信を創業した経緯や、将来へ向けての取組みを聞いた。

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利益至上主義の金融業界での違和感

早川:そもそも、どうして創業しようと思ったのでしょうか?
今の経営哲学が培われたできごとがあったのですか。

鎌田:鎌倉投信を立ち上げる前はふつうのサラリーマンでした。
日系の信託銀行で11年間籍を置き、そのあと外資系の資産運用会社に9年いました。
合計20年間、金融業界で勤めていたのです。
日系信託のときも、外資系の運用会社のときも、学ぶことがすごく多くて有意義でしたが、「金融というものが本当に社会の役に立っているのだろうか」という疑問符はずっとありました。
もともと、志があって金融に入ったわけではないのです(苦笑)

大学卒業後に日系信託に入社したときも、金融に強い思い入れがあったわけではありません。
たまたま、部活の先輩が信託銀行に入っていたのです。
その先輩に「信託銀行会社というのは、証券会社や都銀よりもラクな割には給料が高い。それなりの会社だし、来たらどうだ」というふうに声をかけてもらって、面接受けに行きました。

早川:スタートはそんな感じだったんですか。
意外です。

鎌田:当時は何も考えていませんでした。
入社したのは1988年、バブルの絶頂期です。
不動産を右から左に転がしたら手数料で何億円と入るような世界。
会社の雰囲気も、「いかにして儲けるか」という風潮が非常に強かったのです。

「同業他社よりも上に行くんだ」「都銀よりも力をつけるんだ」という競争が激しく、「誰のために、何のために金融はあるのか」という青くさい理論を言う人はほとんどいません。
そこに対しての違和感や、「これでいいのだろうか」という疑問は、ずっとどこかにありました。
途中でNPOやNGOに転職したり、大学で勉強し直そうかと考えてみたり、いろいろ迷いはあったのですよ。

早川:転職活動もされたのですか?

鎌田:はい。
当時は子どもが生まれたばかりということもあり、社会貢献の道ではなく、ご縁のあった外資系に就職しました。
「金融の知識や経験をさらに磨いていきたい」という純粋な思いで転職したのですが、その会社は非常によかったです。
たまたまカルチャーがフィットしたというのもあるし、専門能力が非常に高い会社でした。

けれども、2000年以降に派生型の金融商品がどんどん出てきて、実体経済と金融の世界が結びつかないものになっていったのです。
マネーゲームのように、お金がお金を生むような金融商品が業界全体としては非常に増えてきました。
それに対しての違和感はすごくあったのです。
20年勤めて、「もうそろそろいいかな」ということで、あるプロジェクトを最後に会社を辞めました。
ただ、そのときには、鎌倉投信という会社をつくろうと考えていたわけではありません。


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