清水哲郎さん(画家/ミラノ)第1回「チャンスと可能性は自分の『足』でつかむ」
29歳!?イタリアに降り立った年齢を彼から聞いたとき、僕はとても驚き、そして同時に勇気づけられたことを今でも覚えている。5浪の末、美大を諦め専門学校へ、その後2年間助手をしたうえでの渡伊。しかしそこで待っていたのは、厳しい現実。そしてガンまでも乗り越えて、国立大学で教鞭を振るいながら創作を続ける現在。これほどドラマティックな人生を歩んできた方を僕は他に知らない。ほとばしる彼の情熱が自分にも伝染する、そんなインタビューだった。今回は前編をお届けする(2013年10月ミラノで対談)。
セザンヌのショケ像に触発され、芸術に目覚めた少年時代
早川 本日は清水さんのアトリエにお邪魔しています。結構広いですよね。
清水 220平米ぐらいですね。2006年夏に引っ越してきました。
朝5時に起きてヨガをした後、7時にはここに来ます。ほぼ1日中アトリエで過ごしているので、家には寝に帰るくらいです。
早川 早起きですね!
清水 割とまじめなタイプなので、昔から規則正しい生活を送っています。
とはいえ、急用が入ったり、夜のパーティーに呼ばれたり、展覧会のオープニングが飛び込んできたり、1日の中でもかなりの予定変更があります。そういうことに常に柔軟に対応できるようにはしていますね。自分のルールを守るためではなく、周囲の予定に合わせられるように規則正しい生活を送っています。
早川 昔からそのようなお考えなのですか?
清水 特にイタリアに来てからですね。
こちらでは、常に何が起きるか分からない、明日も分からない、保証のない生活を送っています。人との出会いも大切なので、いつでもいろいろな場所に飛んで行けるようにしています。自分にできることをその時にやらないと何も始まりませんし、誰も助けてくれません。自分で道を切り開いていかないといけないので、常に自分をオープンにするように心がけています。
イタリアという国自体が計画して何か主導するという感じではなく、アートにもそういうところがあります。ですから、自主性や柔軟性は必須です。
もともと僕は、内向的で他人に心を開くのは苦手なタイプ。ですが、絵に目覚めてからは、自分の考えをほかの人に伝えることで自分自身を深く知り、性格を変えていったように思います。
早川 初めて絵に出合ったのはいつ頃ですか?
清水 小さい時から絵を描く能力しかなくて、「おしっこに行きたい」と言うことさえもできずにも漏らしていた、そんな子供でした(笑)。それから、小学校、中学校と絵を描くことで自分の気持ちを表現してきました。
それ以前は、優柔不断で人の意見に従うことしかできなかったのですが、中学生の時に「絵描きになろう」と決断してからは、自分で物事を決められるようになったと思います。
早川 ご両親は芸術家ですか?
清水 遠い親戚に彫刻家がいたくらいですね。
でも、絵の好きな友人はいました。当時、西洋美術館でよくポール・セザンヌ展などの面白い美術展が開催されていて、その友達と一緒に観に行ったのです。そこでセザンヌの「ヴィクトール・ショケ像」という小さな作品を観た時に、心が震えて止まらなくなってしまいました。その体験は今でも昨日のことのように覚えています。それから「この作品は何か」「なぜこの作品はこんなにも自分を知っているのか」ということを探求したくなったのです。
早川 何歳の時ですか?