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小田原靖さん(人材紹介会社経営/バンコク)第1回「しぼる力」

アメリカのカッコいいビジネスマンになりたかった。だが当時同国は不景気のどん底。それでもとにかく海外に渡りたかった。マレーシアを経由して、なんとなくタイへ。

言葉が通じない。タイもタイ人も大嫌いだった。それでも帰ろうとは思わなかった。帰るのが、恥ずかしかった。見よう見まねで会社を立ち上げて、365日働いた。気付けばタイ国内同業のなかでトップ企業となっていた。

在タイ歴は日本よりも長くなった。社員による横領、リーマンショック、ビジネスパートナーの……数多くの想定外に見舞われた。
だが、それでも続けている。

いつかタイも下り坂になるかも知れない。しかし「自分はこれからもここにいると思う」。
そう語る今回のUpdater、小田原靖さんの目は、20年先の未来を見据えていた。今回はインタビュー前編をお届けする (2015年10月バンコクで対談)。

タイの労働省から表彰される、実績ナンバー1の会社を築く

早川  こんにちは。プロインタビュアーの早川洋平です。コスモポリタン、今日はバンコクにやってまいりました。パーソネルコンサルタント代表取締役社長の小田原 靖さんにお話を伺います。小田原さん、よろしくお願いします。

小田原 はい、よろしくお願いいたします。

早川  わたくしごとなんですが、バンコクは実は14年前、ちょうど大学2年生のときに来て以来なんです。小田原さんはその前からいらっしゃるんですよね。

小田原 そうですね。私は今もう23年目ですね。

早川  ほぼ4半世紀いらっしゃる感覚はありますか。

小田原 日本よりも長くなってしまいましたし、長くいるなとは思います。

早川  ずっとバンコク、なおかつこのアソクに会社があるんですか。

小田原 22年間ここにあります。

早川  最初からほぼここですか。

小田原 そうですね。

早川  それについてもいろいろ伺っていきたいと思います。最初タイにいらっしゃったのが1993年で、そこから1代でこの会社を作られたということですか。

小田原 そうですね。もちろん、最初は日本人が2人、タイ人が2人の4人で始めた小さな会社でしたので。

早川  このアソクという地区はどういうところだと言えばいいでしょうか?

小田原 まだまだ発展途上で、電車と地下鉄が交差している駅は3つしかありません。そうした駅がバンコクの中心地という位置づけになっていまして、そのうちの1つです。昇降客数も2番目に多い駅ですし、人通りがすごく多いところ、人が集まってくる場所でもあります。

早川  小田原さんのオフィスの立地はアソクの駅から直結する超一等地ですが、日本企業が全体としては多い地区なんでしょうか。

小田原 アソク自体が日本人街の1つになるんですね。ですから、ここから東にむかって3キロ四方、4キロ四方に日本人が3万人から4万人住んでいます。日本人の人口密度のとても高い町です。

早川  先ほど電車に乗って思ったんですが、やはり日本人率が高いんですね。今おっしゃった日本人街は、住居としての日本人街でしょうか、それとも日系企業のことになりますか。

小田原 成り立ちとしては、そもそも外国人街なんです。そこにもう20年以上前から日本人がたくさん住んでいるんですが、この10年ぐらいの間に新しいオフィスビルがどんどん建って、日系企業もたくさん移ってきました。

早川  その理由は何でしょうか?

小田原 電車があるのに加えて、20年以上前から渋滞が激しい町なので、職住接近を考えてということだと思います。昔の大手町のようなビジネス街がここから5、6キロ先にあるんですが、そこまで行くのに朝は1時間ほどかかるんです。会社がこちらに移ることによって、通勤時間がそれほどかからなくなりますから。

早川  駅から直結したビルに入ってすぐのところにパーソネルコンサルタントのオフィスを構えておられるんですが、社員はどのくらいおられるんですか。

小田原 人材紹介業の他に貸しオフィス、人材派遣会社、翻訳会社、教育会社をやっておりまして、全部あわせてタイ人が65名、日本人が15名の合計80名ですね。

早川  今、事業体がいくつか出てきましたが、もとは人材紹介会社ですよね。月間の紹介数はどのくらいですか。

小田原 月間でおよそ250人から300人くらいが決まっています。年間で2500人から3000人くらいですね。

早川  そもそも小田原さんの人材紹介会社は、タイにある日系企業にタイ人のスタッフを紹介するかたちですか?

小田原 そうですね。タイに進出している日系企業に社員を紹介する会社です。最初は日系企業に人を紹介する会社として始めたんですが、そのターゲットが良かったというのもうまくいっている理由のひとつだと思っています。たくさんある日系企業から秘書やエンジニア、営業、ITのスタッフなどのご依頼をいただいて、弊社で探してご紹介する採用代行業のようなかたちですね。

早川  今、企業の実績としてはタイでナンバー1と言っていいんでしょうか。

小田原 2007年から今にいたるまでずっと、決定数が最も多い会社としてタイの労働省から表彰されております。

早川  これはすごいことですよね。タイにもそういった人材紹介会社はもちろんあるわけですから。

小田原 400社近くあるはずです。

早川  そこで表彰される定義というのは。

小田原 決定数が年間で一番多いということですね。

早川  決定した先が日系企業であるかどうかは関係なく、トータルですよね。

小田原 関係ありません。雇用促進にすごく役立っている会社ということで表彰されたわけです。

早川  最初会社を始められたときには、そういう姿を思い描いていましたか。

小田原 いや、描いていなかったと思います。

アメリカの大きさに打ちのめされ、海外志向に目覚める

早川  2007年から続けて表彰されているという意味では、タイ最大手と言っていいと思うんですが、そういった人材紹介会社をつくるにいたるまでの経緯をお伺いしたいと思います。すでに23年になるとおっしゃいましたが、そもそもなぜバンコクに来られたんでしょうか?


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