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安藤彩英子さん(ベトナム漆画家/ホーチミン)第1回「入口はひとつじゃない」

芸術家になるなら美大。音楽家になるなら音大──今回のUpdater安藤彩英子さんの画家への道は、そんな「ステレオタイプ」な夢の実現の仕方とは一線を画すものだった。夢をかなえる入口はひとつじゃない。大切なのはむしろ出口。たとえ今は夢からほど遠い場所にいたとしても、実現の道はいくらでもある。客室乗務員から画家への転身を果たした安藤さんとの対話は、そんな気づきを与えてくれるものとなった(2015年10月ホーチミンで対談)。

運命に導かれるように、ベトナムへ

早川  実はインタビュー前に漆絵を2時間ほど体験させていただきました。どんな工程だったのでしょうか?

安藤  最後ですね。漆絵と言うか、漆画と言うか。ベトナム特有のものなので、日本語にすると、いくらでも言いようがあるんですけど、私は「漆画」と呼んでいます。どんどん漆を重ねていって、最終的に研ぎだすことで、地層のようにいろんな質感とか絵柄が表れてくるというアートなんですね。
漆を一つ一つ重ねて乾かす作業を最初からしていると、1カ月くらいこちらに滞在して頂かないといけないので。ちょっと知恵を絞って、事前に層を重ねて出来上がった作品を研いで磨いていくという事をやっていただきました。以前からワークショップなんかでやっている事なんですけど。

早川  今僕たちがいる場所はホーチミンのどこと説明すれば良いでしょうか?

安藤  中心部からはちょっと離れた7区です。1区から30分くらいの所なんですけど、その端ですね。中心部から、どんどん南下した辺りです。

早川  パリでも、1区、2区みたいなのがありますけど、そういう感覚ですかね?

安藤  そうですね。

早川  真ん中が1区で、そこから広がっている感じですか?

安藤  そうですね。この7区には、新しく開発されたフーミーフンという、とても綺麗な新興住宅地があるんですけど。そこを通過して、もっと庶民が昔から住んでいるような地区に建てられた、アパートの中にアトリエがあります。

早川  でも、ここも「アパート」って言っていいのかと思うくらい、超高層マンションですよね。ここは何階建てですか?

安藤  その棟によって高さが違うんですけれど、この棟は22階ですね。

早川  これ、すごいですよね。超高級マンションなのかと思いますが、普通にベトナムの中流階級位の人だったら買えるのでしょうか?

安藤  そうですね、中流のちょっと上ぐらいになるんでしょうかね。

早川  中の上ぐらい?

安藤  ええ。

早川  だから、この辺は特にそうですけど、目の前に川もあって、土地がいっぱいあって。何て言ったら良いんでしょうかね、あの辺、森じゃないけど……何て言うんだろう。

安藤  ジャングル……。

早川  ジャングルみたいな感じですよね。

安藤  メコン川クルーズに行かれた方だと想像しやすいと思うんですけど、ああいう水路があるようなジャングルみたいですね。

早川  そうですか。たくさんある土地に、どんどんこういったタワーマンションを建てているという感じですか?

安藤  そうですね。次々と建っているんですけど、その割には住んでないと言うか、あんまり占有率は高く無いんじゃないかと思うんですけど。ここも、そんなに大勢住んでない静かなところが気に入って借りているんですけれど。

早川  さきほど、アトリエと申し上げましたけども。つまりここはアトリエで、ご自宅はまた別の所にあるということですか。

安藤  そうですね、バイクで15分くらい行った所に住んでいます。

早川  それは厳密に言うと違う地域になるんですか?

安藤  一応7区ですね。ただもうちょっと便利の良い所ですね。

早川  これまた何で7区なんですかね? 安藤さんがなぜ7区を選んだのか。いろんな理由があると思うんですけど。

安藤  そうですね、実は7区は新しく開発された所なので、住み心地は良いんですけど、「いかにもベトナム」っていう感じの雰囲気では無いんです。去年までは、本当に路地裏の、庶民が住んでいる所にずっと住んでいました。でも、だんだんハノイも経済発達と共にゴチャゴチャして、排気ガスもひどくて、交通量も多くなって、心がガサガサするような雰囲気になっているんですね。それで、こっちに来た時に、そういったものから離れたいと思ったんです。もうちょっとゆったりと、町を歩いて散歩できるような所に行きたいなって事で7区に来ました。少し中心街からは離れているんですけど。
まぁそんな感じで、住んでいる所は住み心地が良い、わりと現代的な所なんですけど、やっぱりベトナムらしい所が無いと、物足りなくて。それでバイクに乗って、庶民的な市場やお店が並んでいる所を走っています。早川さんもいらっしゃった時に見られたでしょう。そこを走ることで、良いバランスが取れているのだと思いますね。

早川  僕はもう滞在3日目ですから、バイクの多さとかすごく理解できるんですけど、日本の方は、なかなか想像がつかないかもしれません。やっぱり車よりも圧倒的にバイクが多いんですか?

安藤  そうですね、車の量も本当に増えました。私がベトナムに来たのは1995年なんですけれども。

早川  ちょうど20年前。

安藤  そうですね。その時は、車はほとんど見なかったんですね。バイクと自転車がすごく多かったので。ですが、今は車が非常に増えています。ただ、庶民が移動に使うのはどちらかと言うと、やっぱりバイクですね。自転車は減りましたけど、バイクは減らないですね。

早川  昨日、サイゴンタワーじゃ無いですけど、かなり高いタワーを見ました。

安藤  ビテクスコ フィナンシャルタワーですね。

早川  そこに行ったんですけど、スカイラウンジとかデッキから見たら、東京だったら車の流れがすごくきれいじゃないですか。そうじゃなくて、バイクが多いので何か小さな粒のようなものが動いている感じでした。これは東京では無い風景だなぁと思って。そのくらいバイクの多さを感じたんですけども。
先ほど、20年前にこちらに来たという話がありましたが、今日は、安藤さんの人生そのものも伺って行きたいと思います。やっぱり、なぜここにいるのかという事ですよね。
話すと長くなると思うんですけど、長くて結構なので、ここにいたるまでの経緯を教えてください。

安藤  はい。ベトナムに来たのも漆を始めたのも、実は偶然なんですね。元々大学で、日本の文化や芸術が勉強したくて、哲学科に通っていたんです。全然芸術とは関係ないところだったんですけど。昔から物作りが好きだったので、卒業したら外国に留学して、美術の勉強をしたいと思っていたんです。でも、やっぱりお金が無いとできないなという時に、たまたま就職試験の案内が航空会社から届きました。

早川  たまたま?

安藤  たまたまです。留学のためのお金をためたいなと思い始めた時に、それが届いていて。願書を出したら、当然なんですけど返事が返って来たので。オフィスワークじゃなければ、私もできるかもしれないという事で、試験を受けて、客室乗務員を2年半やったんです。それで、いろいろな美術館に行ったり、現地の文化に触れたりしていました。お金を貯めるというのが第一の目的だったんですけれど、充実した生活を送ることができました。それで、2年半たったころに、「もうそろそろ良いだろう」という事でやめました。
本当はインドネシアにアーティストの友達が居たので、そこに行こうかなと思っていたんですけれども。経由先のバンコクに行ったら、「ベトナムに行くビザとエアーチケットが簡単に手に入る」という事だったんですね。「それなら、ちょっと行ってみようか」という事で1カ月のビザを取りました。それがベトナムに来たキッカケなんです。「もともと漆画があるという事を知っていて」とか「ベトナムが大好きで」ということで来たんだと思われる方も多いんですけど。全くそういう事では無くて、本当に偶然と言うか、運命と言うか。そんな感じでした。

早川  そういう意味では逆に必然だったのかもしれないですけどね。

安藤  そうですね。

早川  じゃあ、もしその時に、「ベトナムはビザが取りやすい」という話が無かったらインドネシアに行っていたかもしれないんですね。

安藤  そうですね。それか別の国に行っていたかですね。そう言うと皆さん、「それじゃ、ベトナムに行って、異国情緒や人情に触れたとか、すごく良い経験をして、ベトナムに居たいって思ったんですね」って言う風に言われるんですけど、それも全く違って。
実は95年頃のベトナムの、とくに北の方では、現地の人達が、外の世界と簡単には馴染めないという雰囲気があったんです。こっちがニッコリ挨拶してもプイッとそっぽを向く感じで非常に冷たくて暗い感じだったんですよ。で、「なんて嫌なところだろうな、感じ悪いな」と思って、本当に印象が悪かったんです。
外国人もだんだん入って来た時期だったんですけど、スリや物乞いもいっぱいいました。あと、ちゃんと値段決めてシクロ(人力車)に乗ったのに、後ですごく法外な値段を要求されたこともあり、本当に嫌な思いばっかりしていたんです。
そのうち体調を崩したんですけど、泊まっていたゲストハウスの女主人が、「何か彼女は具合が悪いらしい」という事に気付いて、薬を買いに走ってくれたり、看病してくれたりしたんです。でも、相変わらずニコリともしなかったんですね。その時に、「私、もしかしたらこの国の人のこと、誤解しているんじゃないか。何も分かって無いうちに判断して、ここは嫌いだ」って言って立ち去るのがすごく悔しいって言うか、納得いかなくて。それでまたビザを取り直しにカンボジアに陸路で渡って、また舞い戻って、「納得がいくまで住んでみようかな」って事で住み始めました。

早川  そうなんですか。今と当時で、またちょっと違うと思うんですけど、当時のビザと言うのは、観光ビザでしょうか? どういうビザでどのくらいの期間が取れたんですか?


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