清涼院流水さん(作家・英訳者)第2回「“時を超える”作品のつくりかた」
作家、翻訳家として活躍する清涼院流水さんが、7年にわたって執筆していた大作が2018年1月に同時刊行された。『純忠 日本で最初にキリシタン大名になった男』と、『ルイス・フロイス戦国記 ジャパゥン』の2冊である。この本を書くにあたって、膨大な資料を読み解き、事実を確認することに加え、ポルトガル語、ラテン語、キリスト教の聖書をマスターする必要があったという。まさに自分をアップデートしないと書けない状況だ。この本を書くことになった経緯や、困難な状況をどのように突破していったのかをうかがった。
人によって態度を変えない理由
早川:振り返ってみると、流水さんは、これまで助けを求めてきた相手に、愛を返したり救ったりしています。
何がそうさせるのでしょうか?
流水:言葉にすると安っぽくなってしまうのですが、自分には愛があると思っています。
肩書、社会的地位、外見に関係なく、基本的にはどんな人でも好きになっちゃうんですよ。
唯一の例外は、悪意を持ってぼくに危害を加えてくる人です。
それ以外は、総理大臣でも、幼稚園児でも、ぼくの態度は一緒です。
早川:いつからそうだったんですか?
流水:きっかけとして思い浮かぶのは、22歳で作家デビューした時のことです。
ぼくも大学生のときは、サークルの後輩に対して先輩風を吹かせたり、「お前しっかりしろよ」と言ったりすることもありました。
ただ、ある時期を境に、後輩もさん付けで呼んで敬語で話すようになったんです。
どうしてそうなったかというと、ぼくをデビューさせてくれた伝説の編集者が某大手出版社にいらっしゃって。
「編集者の神様」と言われるくらいすごい方なんですよ。
その方がぼくのことを「流水さん」と呼んで、リスペクトしてくれたんです。
他の編集者はぼくに対して学生扱いで、「流水くん、がんばってる?」みたい感じだったんですけど。
その編集長は一番偉い方なのに、「流水さんは本当にいい作品を書きますね」とぼくに敬意を払ってくださいました。
彼のふるまいは本当にすてきだったし、「人に対してこういう接し方ができる人でありたい」と感じました。
今は、ぼくよりはるかに若手の作家でも、さん付けで呼んで敬語で話しますし、一人の表現者として尊敬しています。
そもそもぼくは、いばっている人が嫌いなんです。
相手をリスペクトしていたら、いばるという方向にはいきませんから。
ぼくを変えたきっかけとして、その伝説の編集者が与えてくれた感動があると思います。
新書『50歳から始める英語』について
流水:差し支えなければ、英語の本を出すことになった経緯を教えてください。
2017年から2年近く経ちましたけど、何か心境の変化があったのですか?