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清涼院流水さん(作家・英訳者)第1回「英語落第生が英語にハマった理由」

今回のUpdaterは、作家の清涼院流水さん。1996年にミステリー小説『コズミック』で第2回メフィスト賞を受賞し、京都大学在学中に作家デビューした。小説だけではなく、ビジネス書、ノンフィクション、英語学習指南書など幅広いジャンルを手がけ、著作は70冊以上。日本人作家の小説を英訳して世界中の電子書店で販売する「TheBBB」の編集者でもあり、彼が翻訳、編集した作品は100を超える。高校時代はゲームクリエイターを目指し、英語が大の苦手だったという彼に、どんな転機があったのだろうか。

出会った頃からブレない理由

早川:最初にインタビューさせていただいたのが2009年で、今日は4年ぶりにお会いしたのですが、久しぶりという感じがしませんね。

流水:そうですね、メールではよくやり取りさせていただいていますから。

早川:最初のインタビューから10年近くお付き合いさせていただいていますが、流水さんは一貫してブレない、良い意味で突き進んでいるイメージがあります。
ただ、ぼくと出会う前には揺れていた時期もあったんですよね?

流水:悟りがあったのは、ちょうど早川さんと出会う前です。
新しい作家さんが次から次へと出てきて、彼らの影響を順番に受けていたら、自分のスタイルを見失いそうだなと思っていました。
2007年に、昔からやりたかった小説の12カ月連続刊行を達成したので、そこで一区切りつけて、流行を追いかけるのはやめようと決めたんです。

早川:もう1度「12カ月連続刊行をやってくれ」と言われたらできますか?

流水:条件次第ではできますよ。
ちゃんと出版してくれるという約束があって、編集部がバックアップしてくれて、他の仕事も調整すればできないことはありません。
ただ、何回もやってもしょうがないとは思いますけど。
いまだにあれ以上の修羅場はないし、一生超えることはないだろうという気がします。
あの時、実は他の本も出していたので、正確に言うと14カ月で16冊出したんです。

早川:すごいですね。その大変さは想像もつきません。
前回登場していただいてから、10年近く経っていますが、小説家として、個人として、どんな10年でしたか?

流水:ぼくはよく「2010年が人生最大の転換点だったな」と思うんです。
『キング・イン・ザ・ミラー』のインタビューでも話したんですけど、一番大きかったのは、10年の2月に父が亡くなったこと。
あの頃から、ミステリーを書くのを避けてきたようなところがあります。
「ミステリーはやりきった」ということもありますが、父の死も関係していて。
危篤の連絡を受けた日、ぼくは東京から神戸に駆けつけて、父の臨終を見守ったんです。
死ぬ前の7時間一緒にいて、死の瞬間まで見届けたときに、「もう人の死を軽々しく書けない」と感じました。
「今さらそんなことを言うのか」と思われるかもしれません。
ぼくは、「作中で人が死にまくる」と言われるような派手な事件を書いていて、フィクションの中で全人類を滅ぼしたこともあります。
けど、人類が滅びるより、父一人が死ぬほうがぼくにとってはショックだったんです。
両親の片方ですから、「自分が50%死んだ」と言っても間違いではない。
50%どころか、もう99%死んだのではないかと思うほどの衝撃でした。
早川さんにインタビューしていただいた時は、まさに自分が1回死んで再生が始まっていた時なんです。
生まれ変わって最初に出したのが『キング・イン・ザ・ミラー』という作品で、ぼくにとっては、いまだに特別な作品です。
2012年から、日本人の小説やビジネス書を英訳して海外に向けて発信する「The BBB」というサイトを始めて、早川さんのインタビューや、『戦争の記憶』も、eBookで出させていただいています。
早川さんのインタビューは大人気で、海外からもたくさんダウンロードされていて、本当にありがたいんですけど。
「The BBB」の第1弾として、『キング・イン・ザ・ミラー』の英語版を出したら、世界中でダウンロードされて、海外の電子書店でついた140個のレビューすべてが満点で、絶賛されているんです。
早川さんは2010年の時点で、『キング・イン・ザ・ミラー』を気に入って、価値を認めてくださっていたんですけど、一般的にはあまり良い反応がなかったんです。
「なんで日本人の作家がわざわざマイケルのことを書くんだ?」という冷めた反応がほとんどで、残念に思っていました。
海外からは理想的な反応が得られたんですけど、それはマイケル・ジャクソンという人気者を扱ったからではありません。
マイケルファンは作品を見る目がすごく厳しいので、中途半端なものを出したらこき下ろされるし、外国人の書いたマイケル本でも叩かれているものはたくさんあります。
そんな中、『キング・イン・ザ・ミラー』は「日本人よ、よくぞいい本を作ってくれた」という感じで歓迎されました。
印象に残っているのは、某有名大手広告代理店の社員で、英語の本を出版している方から、「『キング・イン・ザ・ミラー』に感動しました。会ってください」と言われたことです。
英語の小説を発表するくらい国際感覚があって、外国のエージェントと仕事しているような方から、「『キング・イン・ザ・ミラー』は本当にすごい作品ですよ。日本人からよくこんなものが出てきたなと思います」と言われたのがうれしくて。
ぼくも『キング・イン・ザ・ミラー』にかんしては、普遍的なものを作れたと思っています。
おそらく、50年後100年後に読んでもまったく作品の価値が変わりません。
そういうものを作れて本当に良かったし、今でも拡散し続けていることを誇らしく思います。
「本格的な拡散はまだこれからだ」と思っているんですけどね。

なぜ英語学習に没頭したのか?

早川:2010年にお会いしたあとも、流水さんとは英語学習という結びつきがありました。
今、なんとか海外でインタビューができるようになったのは、流水さんの指導のおかげだと感謝しています。
ただ、今回初めて流水さんのインタビューを読んだ方の中には、「どうして作家なのに英語が活動の核になったんだろう?」と不思議に思う方もいるはずです。
改めて、そのあたりについてうかがってもいいでしょうか。


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