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横尾忠則さん(美術家)第2回「人生を変えた『画家宣言』」

横尾忠則さんは 1960年代からグラフィックデザイナーとして日本のポップシーンを牽引し、文化人の三島由紀夫さんや、寺山修司さんからも高く評価されていた。

転機が訪れたのは、80年7月。ニューヨーク近代美術館でのピカソ展に衝撃を受けた彼は「今後は絵画制作に専念する」と新聞記者に話し、それが記事に。その出来事は、俗に「画家宣言」と呼ばれている。画家に転向したことは、横尾さん自身や家族にどんな影響を与えたのでか。お金観についてもうかがった。

豚がハムになった? 1980年の画家宣言

早川:今回ぜひうかがいたかったのが、横尾さんの「画家宣言」のことです。

横尾:ピカソ展を見て、その会場で決断したので、80年の夏だったと思うんです。
決断した日が、すなわち画家に転向した日なんですよね。
展覧会で発表しはじめたのは、81、82年からですけど、その間ずっと描いていたからね。

早川:僕はいま38歳なので、ちょうどそのころに生まれているんです。
当時の横尾さんの本を読ませていただくと、「ピカソの絵を入り口で見て、出てきた時に、僕は豚からハムになっていた」ということが書いてありました。
不遜を承知でうかがいたいんですけど、グラフィックデザイナーから画家になるわけですよね。
そうすると「豚からハム」じゃなくて、「ハムから豚」なのかなと思ったのですけど。

横尾:なるほど。
ハムは商品化されていますよね。
グラフィックもある意味で商品化されている。
それがどんどん野生に戻っていくということだから、その考え方のほうがもしかしたら正解かもわからないね。

早川:その部分に勝手に違和感を持っていました。

横尾:まぁ、わかりやすくするためですよね。
自らと美術館を缶詰工場にたとえると、入口から生きた豚がぞろぞろ入っていって、いろんなことがあって、最後に缶詰でポンと出てくるというイメージでした。
別人っていうよりも、別のものになったっていうぐらいの大きな転換が僕の中にあったんですよ。
それくらい、グラフィックと絵画は違うものだったんですよね。

早川:それは何が違ったのでしょう?


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